生命とは?

最近、福岡伸一著の「生物と無生物のあいだ」を通読してみました。自分自身もアメリカで短期間のポスドク生活を経験したことがあるので、著者が研究者だった頃の基礎研究に対する実験結果に対する考察やそれに纏わるさまざまな苦悩や葛藤を十分共感でき、小生も当時の懐かしい想い出が走馬灯のように駆け巡りました。また、文学的表現の香り高い文章ですが、一般読者にも解りやすく書いてあるため、これからの生物学や医学を目指す若人にも刺激になるのではないかと思いました。
この著書の主題の一つは、勿論「生命とは何か」です。それは自己複製するシステムであり、エントロピー増大の法則に抗して動的秩序を維持しうることです。そのためには、常時生体の代謝を行ってエネルギーや物質の絶えざる流れを作って負のエントロピーを獲得し、生命の内的秩序を維持することです。著者はシェーンハイマーが発見した「生体内の蛋白質は絶え間なく分解と合成が行われている」生命の動的な状態(dynamic state)の概念に着目し、生命現象を動的平衡(dynamic equilibrium)でとらえることが出来ると提起しています。つまり、生命は動的平衡にある分子の流れであり、生命を構成する蛋白質は絶え間なく壊される秩序によって維持されていると述べています。従って、生命自体の形態に変化は無いようにみえても、実際には取り込まれた物質が一時期生命の構成要素として働いていても次の瞬間には分解されて体外に排出され、新たに取り込まれた同じ物質によって置換されていくため、生命の物質の実体は少しずつ持続的に変化しているのです。
「動的平衡」の定義が科学的に曖昧であることや、これは「定常状態」の方が適切な表現ではないとか、生物学分野のみならず化学分野(散逸構造理論の非平衡開放系)では既にこの概念はあるので、著者が名付けるほど目新しいものではないとの批判も多々ありますが、この概念を一般社会に遍く紹介すること自体には意味があるのではないかと思います。
この概念は、鴨長明の『方丈記』の冒頭文、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし。;水ゆく川の流れは一瞬も絶えることなく、しかも、その水は一瞬前の水ではない。淀みに浮かぶ水泡は、消えたり新たに出来たり、一つの泡が長く留まるという例はない。世の中に住む人と、その住処とは、流れや泡と同じである。」と同じで、まさに生命で起こっている物質の入れ替わりを重ね合わせることができるので、大変興味深いところです。

2つ目の最近読んだ本の中で興味があったのは、辺境生物探検記(著者:長沼毅、藤崎慎吾)でした。対談の中で、生物界の最新の考え方や仮説が宝石のようにちりばめられており、極限環境(南極、北極、深海、火山、海底火山、砂漠など)生物の研究に意欲を燃やす長沼先生には本当に「科学界のインディ・ジョーンズ」がふさわしい異名だと思いました。
例えば、ハロモナスやハロバチルスやデイノコッカス・ラディオデュランス菌の幅広い条件での生存能力や、深海に住むチューブワームと共生細菌についての関係とその将来の進化の予想、自立生活が出来る0.2μm以下の細菌(ナノバクテリアやアーキア)の存在とミトコンドリアの関係、地下生命圏研究の話題(地下生命の活動は非常に遅い、微生物がウラン鉱床を作るなど)、生命の種は宇宙から運ばれてきたと言う「パンスペルミア仮説」や地球生命とは異なる進化を遂げる宇宙生命の可能性と仮説、そして極めつけの「生命は宇宙を破壊する」など、広範な分野の論点を大胆発言?しているのが大変興味深く、また全く無知の分野があることにも驚かされました。これら以外にも話題性のある対話が盛りだくさんで、これは必ずやベストセラーになると確信しています。
尚、本書の中で、よく小学生たちは"作文のなかで「人間は地球のガンみたいな生き物」と書くそうです"とありましたが、実は小生もずっと以前からそう思っていたので、知的レベルはその程度なのだなと恥じ入る次第でした。
P.S.:12/2/2010にNASAから、リンが全くない環境になるとヒ素を代用して利用する新細菌種(ハロモナス類)が発見されたそうです。この事は、完全に地球とは異なった環境の星でも生命体が存在できる可能性があることなのでしょうか?。発表直後なので深い意味はよくわかりませんが、著者らにとっては既に織り込み済みの発見なのかもしれません。

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